あれから、はや一年が過ぎてしまいました。
復興どころか復旧も遅々として進んでいないのに、
遠方に住んでいる私たちは、
すでにあの出来事をつい忘れがちになってしまっています。
あの日私は・・・

3月10日:
東京の大学を受験した息子の合格発表の日でした。
この日は木曜で休診、翌日は歯科医師会の年に一度の重要な会議である合同協議会、
土曜は、翌、日曜開催予定の審美学会セミナーの準備と、週末の予定が詰まっていました。
東京で何かするならこの日しかないということで、とりあえず朝、東京に向かいました。
幸い合格していたため、あわただしく大学の手続きを済ませ、
実際のものを見もしないで下宿を決めて、大阪に帰りました。
もし、一泊してゆっくり物件を探す予定にしていたら・・・

3月11日:
昼過ぎ、仕事中に大きな揺れを感じました。
しばらくしてから、その揺れが東北で起こった地震によるものだと聞かされ驚きました。
「東京も少なからず被害があり、日曜の審美学会セミナーを中止した方がいいのではないか」
と複数の連絡を受け、対応に追われました。
東京の審美学会事務局セミナー担当者とも協議しましたが、
「周りの被害は大したことありませんから、セミナーは開催は問題なくできると思います」との返事でした。
この担当者もまさか自分がこの後、帰宅難民になるなどとは夢にも思っていなかったわけです。
夜、歯科医師会の合同協議会に出席しましたが、
この時点では関東以北で何かえらいことが起こっているという情報しかありません。
東京に行くのは控えた方がいいと、皆さんにもずいぶんご心配いただきました。

3月12日:
地震被害の正確な情報がほとんど入らないまま、翌日の審美学会セミナーを控え、夜、東京入りしました。
携帯の緊急地震速報がけたたましく鳴り響き、余震が何度も起こりました。
テレビは声高に延々特別報道番組を流していますが、本当の地震被害の実態はまだ全くわからない状況でした。
東京でこれですから、東北の方々はいかに不安な夜を過ごしているのかと、つくづく思いました。

3月13日:
朝、ホテルを出て、セミナー会場である飯田橋の日本歯科大学富士見ホールに向かいました。
車がほとんど走っておらず、人影は全くありません。
都心なのに奇妙な静寂に包まれ、ものすごく違和感を感じました。
病院のロビーは帰宅難民を受け入れていたからでしょう。
雑然としていて、貸し出していた毛布や布団類がうず高く積まれていました。
ホールの壁も一部崩落したままで、地震の余韻がまだ生々しく残っていました。
セミナーは、開催中も何度か余震があり、不安を抱えつつも予定通り終えることができました。
多くの方々が、楽しみにしていただいていたにもかかわらず参加できなくなり、
大変気の毒なことになりましたが、それでも130名以上の方々にお越しいただきました。
無事の開催にご協力いただいた関係各位、そして当日お越しいただいた方々には、
心から感謝いたしております。

3月14日:
テレビではこの日から計画停電が実施され、都心が大混乱しているニュースが流されていました。
前日、大した混乱もなくセミナーを開催できたことが奇跡的なことだったと、
そして自分はこの日からいつもと変わりなく仕事を始めることができていることに
改めてホッと胸をなでおろしました。

このように・・・

当時、私は私なりに結構大変な思いをしていたのですが、
今となってみれば、とるに足らない話です。
結局大した影響もなく、ノホホンと過ごすことができていることに、
本当に感謝しなければいけないと思います。
多くの方々が、想像を絶する被害を受け、今も苦しんでおられます。
この災害を忘れることなく、被災された方々に思いをはせ、
これからも私たちができるだけのことをしていく必要があると
今日、思いを新たにしています。

日野歯科医院